【川崎・中1殺害】被害者の父「一生愛する人と会えない悲しみが分かるか」

どこにいても息子の姿を思い出して、生きています。

できることなら、自分のこの手で息子の仇(かたき)をとってやりたい。

【川崎・中1殺害】被害者の父「一生愛する人と会えない悲しみが分かるか」

【川崎・中1殺害】被害者の父「一生愛する人と会えない悲しみが分かるか」

 川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月、市立中学1年の男子生徒=当時(13)=が殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われたリーダー格の無職少年 A(19)の裁判員裁判。4日に開かれた横浜地裁(近藤宏子裁判長)の第3回公判で男子生徒の父親が意見陳述し、「もう、どんなに願っても、祈っても、一 生、愛する人と会えない悲しみが分かっているのか」と訴えた。

【意見陳述-被害者の父】

 息子(男子生徒)が亡くなってから1年がたとうとしています。失った悲しみは、何一つ癒やされることはありません。たぶんこれからもないと思います。私は一生この悲しみと苦しみを持っていかなければならない。

 命を奪った犯人を一生憎み、許すことはないでしょう。私はいま、息子が短い人生の半分を過ごした、とても小さな島で暮らしています。どこに行っても息子 の思い出ばかりです。いつも釣りをした岸壁。真っ黒に日焼けした海水浴場。玄関から入ればいいのに、なぜかいつもリビングの窓から「お父さん」といって 入ってきていました。どこにいても息子の姿を思い出して、生きています。毎日思い出し、息子が生きていれば、それも楽しい思い出だったが、つらい思い出に なってしまいました。

 息子と最後に会ったのは去年の1月2日、その日の午後飛行機で(島に)帰るとき、午前中に待ち合わせて昼食を食べました。その4日前にも行った川崎駅前 の回転寿司です。あの子はいつも…マグロとサーモンばかり、少し照れたような顔で食べている、顔が目に焼き付いて離れません。

 京急川崎の駅前で息子が「今度の夏休みに島に行きたいんだけど」と言ったのが、最後になりました。島では息子が夏には帰ってくると友達が楽しみにしていました。もちろん私も楽しみにしていました。

 2月21日に川崎警察署から連絡がありました。そのとき私は海の上で仕事中でしたが、急いで港へ引き返し川崎へ向かいました。フェリーのテレビで事件の ことが流れていました。発見された遺体が息子だと発表されていました。しかし心のどこかで間違いであってほしいと思っていました。翌朝、警察署に行きまし た。息子は寒い部屋の中で、顔に白い布をかけられていました。ここまで来てもまだ間違いであってほしいと思っていました。

 白い布をとると、息子でした。切り傷やあざはあったが、ただ本当に眠っているだけのようでした。だが何度声をかけても…目を開けてくれることはありませんでした。

 その日から警察の聴取があるとき以外は、川崎駅前を歩き回りました。もしかしたら犯人を見つけられるのではないかと一日中歩いていました。河川敷から公園へも歩きました。犯人の家の前にも行きました。買ったばかりの靴がぼろぼろになるまで歩きました。

 犯人に対しての怒りは変わりません。むしろ大きくなっている。

 犯人は、13歳の子どもを複数人で一方的な暴力行為で、息子は気の弱い子で抵抗できるはずがありません。我慢すれば許してもらえると思っていたのでしょ う。裸にされて泳がされても、カッターナイフで切られても、コンクリートに頭を打ち付けられても、生きるために我慢していた。

 しかし、犯人は無慈悲にも命を奪いました。息子がこれから得るはずだった喜びもすべてを奪いました。私が息子の成長を喜ぶことも奪いました。このときの 息子のことを考えると胸が握りつぶされる思いです。怖かっただろうな、痛かっただろうな、寒かっただろうなと考えるだけで、気が狂いそうになります。

 息子は13歳です。犯人は残酷な行為を行って傷ついた息子を見てもやめようと思わなかった。社会で生きる人間として私は絶対許せません。犯人にも、息子と同じ恐怖を、苦しみを味わわせてやりたいです。
 
 人の命を奪った者は自らの命をもって償うべき、という人がいます。私はしごく当然だと思う。それができなくても、報復権や復讐(ふくしゅう)権を認める べきだという人もいます。できることなら、自分のこの手で息子の仇(かたき)をとってやりたい。自分でしてはいけないと思いながら、毎日そう考える。

 犯人は19歳。選挙権を持つ私たちと同じ大人です。なぜ報道で実名ではなく少年なのか。理解ができない。殺人犯です。私や家族の人生を狂わせた。そのこ とが犯人は分かっているのか。息子だけでなく不幸になり、毎日苦しんで涙を流している人間がいることが分かっているのか。

 もう、どんなに願っても、祈っても、一生、愛する人と会えないということの悲しみが分かっているのか。

 公判で初めて犯人の姿を見ました。だが犯人が私を見るということはありませんでした。申し訳ないというのならそれだけの行動があっていいと思います。 「反省しています」と言っていたが、信用できない。赤の他人を鉄パイプで殴ったときも反省し、約束を守ると言っていたのではないか。日吉事件の後も息子に 「もうやらない」と言って謝ったのに、命を奪った。

 私には考えられないような残酷なやり方で息子の命を奪った。反省したということは信用できない。犯人は息子を忘れずに背負っていくと言っているが、息子の命は、犯人が背負えるほどそんなにちっぽけではない。犯人の両親もあまりに命を軽くみているようにしか思えません。両親も私と目が合うことはありません でした。

 あの日から、多くの人が声をかけられます。がんばろうと、一緒に涙を流してくれた人もいました。前を向こうと励まされました。しかし私はいまだに前を向けてはいません。

(カナロコ by 神奈川新聞 2月4日)

この記事を読みながら、涙が止まりませんでした。身内を、ましてや、自分の子供を、自分より先に亡くすということは、ものすごく辛い事実に違いありません。

しかも、信じていた友達に、想像もつかないような残酷な方法で殺されたなんて、極悪非道で人間のやることとはとても思えません。

そんな事実を突きつけられて、被害者の父親は、毎日、犯人を恨む気持ちと、悲しみをもって生きていかなければなりません。こんなつらい人生はないと思います。

個人的には、かたき討ちの制度が、今回の事件に関しては復活してもいいのでは?とさえ思えます。万が一、被害者の父親が加害者を殺したとしても、当然のことと思えてしまえそうです。

謹んで、上村君のご冥福をお祈りいたします。

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